藪井蟹二の「瘤」

 

 随分前から背中に異物があった。ぽつと浮き出て明らかに出物腫物の類である。唯押しても痛い訳ではなし痒い訳でもない。しかし気になるのはなるので、以前掛かった駅前の皮膚科の女医さんの処へ出かけていくことにした。

 女史は見るなりこういった。「これはフンリュウね、粉の瘤って書くのよ」

「へえ、そうですか」

女医さんのいうのには放って置いても何ら害はないらしい。更に、うちでは切れない、だから何もしない、放っておきなさいとそんなような事をいった。お医者から何もしないとはっきり言われれば得心するしかない。そんなものかと帰路についた。駱駝になった気でおればいいのだ、そんなことを思った。数年前のことである。

 瘤は大きくもならず小さくもならず依然背中にあった。放って置けと言われて放って置いたが、何かにつけてその存在が意識されるのである。朝に着替える時や風呂をつかう時分など、こいつまだいやがるなどと度々思うのであった。相変わらず痛痒感じないままであるがどうも気になって仕方がない。調べてみると確かに粉瘤 atheroma (アテローマ)というものらしい。皮膚下の嚢状のものに、本来ならば剥がれ落ち身体から排出されるべき筈の老廃物が溜まって瘤になるのだという。その先端には針ほどの極小の穴が開いていて、そこから黴菌が入れば化膿することもあるらしい。

 原因といえば思い当たることがある。ある年の夏であった。あまりの暑さに耐えかね、野外で段ボールを地べたに敷いて裸で寝たことがあった。まるで野蛮ではあるが、風を感じるには地面になるたけ近いほうがいいと思ったのである。見ていると、なるほど猫などは風通しの良いところを選んでごろんと横になる。理にかなっていると猫の後をつけ、真似をしたのだがそれがどうも拙かったらしい。人間は軟にできている。

 しかしこの瘤、厄介なのは皮膚の表面だけ切り開いて中身を排出しても嚢が残っておれば再発する、不純物がまた溜まるということである。場合によったら悪化する可能性もあるという。これは外科的な処置で嚢ごとえぐり取らなければ治らないらしい。つまりは手術である。町医者の皮膚科の女医さんが、うちでは切れないといったのは、こういうことだったのである。

 年が明けてきりがいいと思い立ち、家の者に瘤を取ると宣言した。長年の煩悩を取り去るがごとくの本人にとっては英断であったが、反応は冷ややかであった。勝手になさい、といった応答であった。そこで、兎にも角にも最近隣町にできたという外科医院に電話をしてみると、一度診察に来院してくれという返事である。電話の向こうのそれは感じの良い応対だったので、日を選んでゆくことにした。

 訪れたその病院はこじんまりとはしているが、それは綺麗な建物であった。電話での相手と思われる受付の女性が愛想よく診察室へ案内してくれた。部屋の中にいたのは青年といっていい程の若い医師であった。これこれこれと説明をしたがその先生は口数の少ない性分らしく、返事も今一つ覇気が感じられない。任せて大丈夫かしらんと漠とした不安が過ぎったが、瘤を見せると「確かにアテロームですね」とぼそりと呟いた。急ぐのか、と聞いてきた。今更急ぐ急がないもないが早々に終わらせたいという気持ちはある。傍らの案内してくれた事務員が来週の火曜日なら空いていますというのでその日に決めた。覚ているのは若先生の靴下である。橙色のむくむくとした暖かそうな靴下であった。

 周りの者に、手術をするので何かあった時は後を頼むなどと冗談のつもりでいっていたが、実のところ魚の目を取るぐらいのものだろうと高を括っていた。処置室へ案内され、ここまできて心の臓が早鐘の様に打ち出した。銀のトレイに綺麗に並べた手術刃があった。まずは血液検査をするといい、件の婦女が注射器を二の腕に差し込んだ。察するに事務員でも看護助手も務めるらしかった。それに勘ではあるがどうも若先生とはご夫婦らしい。肝心の若先生の姿はまだ見えない。滅法痛い注射を引き抜くと、裸になって寝台にうつ伏せになれという。うつ伏せであるので、顔を上げても目の前しか見えない。目の前は扉であった。その扉が勢いよく開かれて若先生が入ってきたのは直であった。精一杯見上げると、手術衣にマスクをつけた顔に眼光だけが鋭くみえた。いそいそと歩き回る気配で、また目の前は扉になった。詳しくはわからずにいたが「キョクマ…」「何cc…」とかの頭上での会話が聞こえてきた。キョクマとは局所麻酔と思われる。生まれてこの方お陰様で大病も大怪我もしたことがない。手術といわれる体験は初めてである。しかしここは、どれほど痛くても声には出すまいと決意した。訳の分からぬ男の本懐である。助手が丁寧に口上を述べてくれるので大分気持ちが助かった。消毒です、ひやりとしますとか、ちょっとちくりとしますとかいった。すわ、いよいよかと覚悟を決めたが暫くしても皮膚を摘まんだり引っ張ったりするだけで一向に切る気配がない。いつまで下準備をするのだろうと思っていたら助手が今度は終わりますといったので驚いた。ではもう切っているのかと訊くと、もう縫っていますという返事であった。麻酔というものは凄いものだとつくづく思った。同時に、感覚というものは当てにならないと呆れた。どれほど麻酔をかけられても、それ相応の痛みは感じる筈だという変な自負があったのだ。結局一番痛かったのは注射した上腕であった。その次は顎である。うつ伏せでいたので、やたらと顎が草臥れた。

 医師は術中ほとんど何も喋らなかったが、終わった後にまだうつ伏せの眼前に皿を差し出して、これが取れましたといった。肘をついてしげしげと眺めてみると、それはうずらの卵のような繭のような、楕円体をした薄汚れたものであった。これが瘤の正体であった。愚問ではあると思ったが、中身はどうなってますかと訊くと若先生は皿の上の物体を手術刃で真っ二つに割って見せてくれた。

「まあ、皮脂とか垢とか、そういうものですね」と説明した。「そういうものですから臭います」皿をこちらの鼻先まで差し出してきたので嗅いでみると強烈な悪臭であった。生臭いようなすえた臭いであった。「こりゃ臭え」と思わず口走った。こんなものが自分に埋まっていたと思うとつくづく嫌になった。駱駝の瘤には栄養分が溜めてあるらしいが人間のものはなんの役にも立たぬとその場に見当違いの事を考えた。何故か今日の若先生はこの間と違って生き生きとしているな、とも思った。

 次の日、背中の絆創膏を剥がして鏡に映した背中を篤と眺めてみた。案外ぞんざいに縫ってある。このくらいならば自分でも縫えるのじゃないかなどと素人の悪い癖で思う。しかし、かの麻酔をしなければどれだけ痛いことか。男の本懐は撤回することにする。やはり痛いのはいやだ。玄人には玄人の技術があろう。任せておけばいい。有難いお医者様である。健康な普段は気づかぬかもしれないが、なにかあった時には頼れるのが有難いお医者様である。つくづくと感じた。これが実際の外科の先生でも、背中ではいかな名医でも他人に身を預けるしかあるまい。その道の名人であればある程もどかしい思いをしやしないか、などと蛇足で馬鹿な考えを起こした。

 さて、瘤は無くなったがさほど生まれ変わった気はしない。煩悩が消えて高尚な気分になったわけでもない。しかし清々とはした。

 

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