生きとし生けるものがいて
ここってジャングル?そう瑠衣は思った。
「勝田君、ちょっと」部長が呼んでいる。あの手招きはろくなことがない。瑠衣は一瞬目を落とすと同時にため息をつき、席から立ちあがった。隣で、ごてごてと化粧を盛った後輩がにやついているのがわかる。瑠衣は中堅OA機器メーカーの社員だ。すでに新人ではなく、かといってベテランでもない中途半端な位置にいる。居心地は悪い。他の同僚にどう思われているのかは知らないが、本人はそう思っている。
そんな瑠衣の気晴らしは、心の中で思い切り罵るためにあだ名をつけることだ。で、今目の前にいるのがゴリラ。
「なんでしょうか」
ゴリラが喋った。
「この見積もりはどっから出してきたんだ」
そういう部長の顔は、突き出た額といい分厚い唇といいゴリラそっくり。
「課長には承認をいただいてますが」
心の中で、進化しろよと呟く。進化しろよ、この類人猿。人間になってみろ。二本脚で歩けるだけが取り柄のくせに。意地汚さはサル以下だ。いつも食べ物を漁ってる。ぼろぼろこぼしてさ。部長の机周りはゴミ屋敷って呼ばれてる。上にはマンガみたいにへらへらするくせに、下にはやたら偉ぶりたいのが見え見え。進化しろって。人間になれって。そんな心の言葉は知る由もなく部長はぎろっと瑠衣をひと睨みしてこういった。
「こんなんじゃだめだ。もう一回みせてこい」
どう見ても人間の顔には見えなかった。瑠衣は黙って頭を下げると、今度は課長のデスクに向かった。
課長はカバだ。この顔のでかさ、鼻の開き具合。これで歯が欠けてりゃ完璧なのに。「課長」と声をかけると「なに?」とにたっと笑った顔がまたカバそっくり。いやカバが笑った顔がどんなか知らないけど。
「もう一度、課長を通せといわれました」
カバの得意技はわかっている。へまは部下に、手柄は自分にってやつだ。狡さはだんとつ。いつもなにか企んでる。どいてっていったら、いくらくれる?って聞き返すタイプ。おかげで、やり手と思われているけど裏では業者にべったりでマージンもらってるって噂だ。
「これ、俺見たっけかなあ。見てないよ、たぶん。もうちょっと削れんじゃない?もう一回直してみてよ」
案の定。あんたがやんなさいよ。こっちが仕事してた間、あんた新人の子にちょっかい出して半日潰してたじゃないの。叫びだしたい衝動を無理やり抑え込んでやっと答えた。
「わかりました」
振り返った、その後ろでカバの考えていることがわかる。愛想ねえ女だな、とかなんとか。あれで出世するって言われてるけど、ふん、こんな動物王国で誰がどれだけ出世しようが自分には関係ない。自席に戻った瑠衣は、猛烈にキーボードを叩き出した。
翌日の朝。社長の訓示とかいうのがやたら長い。昨日は結局残業になったし、明日の彼との夕飯の約束はお流れになりそうだ。急な接待が入ったとかいうが本当かどうかわかりゃしない。ああ、今週はろくなことがないみたい。こっそり机の下で、精いっぱいの嫌味と次の予定をメールで打つ。社長はまだだらだらと話していた。瑠衣が社長につけたあだ名はゼブラ、だった。馬面のひょろっとした長身。表向きは清廉潔白みたいなことばっかりいってるけど腹の中は黒い。表の顔と裏の顔が全く違ってそう。白と黒の二本立て、だからゼブラ。今もお客様第一とか信用とか信頼とか喋ってるけど社長のギャンブル狂は知る人ぞ知る。ちょくちょく出かける海外通いは内緒にしてるけど誰だってカジノ目当てだってわかるでしょ。今まで使った額は、軽く家が建つっていうじゃないの。ボールペン一本も経費にゃやたらうるさいのに、乗ってる車は最高級車。でもそれだって経費でしょうよ。銀座じゃ札びら切ってるっていうけど。とにかく持ってるやつは違うのね。それに比べて持ってないやつは。瑠衣はちらりと向かいの席にいる係長を見やった。
くたびれたシャツ、いつも同じ作業ジャンパー。社会人になるまで、ここまで覇気のない大人を瑠衣は見たことがなかった。この万年係長がやる気モードになるのは奇跡に近いと思う。中肉中背のこれといった特徴も個性もないどこにでもいる中年男。まず会社で何をやってるのかがよくわからないし、なにを考えているのかがわからない。のらりくらりと一日をやり過ごしてるって感じ。瑠衣はナマケモノと命名した。気が付けば、どこかに潜っちゃう。倉庫の隅、駐車場のはしっこで煙草吸ってるのを度々見受けられる。いつも金欠で、ジュース飲まずに水飲んでるっていうじゃない。こんなんで、よく生き残ってきたもんだわ。そんなことを考えていたら、起きているのか眠っているのかわからないその係長が、急に顔を上げてまともに真正面の目を見返した。慌てて視線を逸らした瑠衣だが、その一瞬の眼光にちょっと気圧された気がしたのだった。それはいつものナマケモノとは違う、なぜか本物の獣のような目だった。射すくめるような視線を受けて瑠衣は思った。このひと、本当は切れるのかな。もしかしたら、ぜんぜん違う裏があるのかもしれない。見せかけで騙して本当の自分を隠してるのかも。なにか副業でもやってんのかしら。もしかしたら芸能人とか。お笑い芸人みたいな。ギャップで笑わす。それとも仕事人みたいな殺し屋とか?まさか、ないない。恐る恐るまた係長の顔を窺うと、それはいつものナマケモノの顔だった。その目はいつものように、開いているのか閉じているのかわからないナマケモノの目だった。空想のしすぎだわ。それしても、早く社長の話、終わんないかしら。
また仕事は伸び、部屋に帰り着いた時には暗くなっていた。部屋の中はうすら寒かった。電気をつけヒーターをつけ、携帯を開く。まだ彼からの返信はない。駅前のスーパーで買った総菜をキッチンに置く。ほのかにまだ温かいホットレモンのキャップを回し、一口二口飲むとそのままソファに座り込んだ。テレビをつけてみる。啓発本が流行りの、なんとかいう女史が喋っていた。スキルアップ…ポジティブに…生き方を変える…。大したもんだわ。この人のいう通りにしてりゃ成功するってことね。そう上手くいきゃね。でも世の中には、くだらないけどやらなきゃならないことがごまんとあるの、このひと知ってるのかしら。現実の生活っての、このひと知ってるのかしら。現実か。瑠衣は大きな欠伸をしてテレビを消した。
その夜、瑠衣は夢を見た。瑠衣は雌ライオンになっていた。伴侶である雄ライオンが人間に追われるところから始まったその夢は、人生そのものだった。父親は狩られた。子供たちを守るために、必死で母親は闘った。敵を殺した。敵ではなくても飢えないために殺した。生き残るために自分のありったけをふり絞って生きた。そこでは、生きているすべてのものが生き残ろうとしていた。喰われないために血を流し、喰うために血を流していた。子供たちは狩られたり病気になったり、飢えたりして何頭かが死んだ。それでもやっと大人になった子供は、やがて旅立っていった。長い月日が経ち、年老いた母ライオンになった瑠衣は、それまでの人生を反芻しながら、ほら穴の中で息絶えた。
目が覚めた時にはうっすらと汗をかいていた。変な夢を見たせいか体がだるい。半ば無意識に家を出た。通勤ラッシュで込み合った電車から逃れ、改札を抜けたときはほっと息をついた。駅前の交差点で信号待ちをする。行き交う車、バス、トラック、そしてあちら側にも信号が変わるのを待つ人々の群れ。その表情はみんな違うはずなのにみんな同じに見える。どれもが、ちょっと不機嫌そうな朝の顔だった。毎日見る光景のはずだった。信号が青に変わり,みんな一斉に横断歩道を渡りだす。瑠衣も歩き出したが、ふと妙な既視感にとらわれて思わず立ち止まった。ここじゃないどこかに自分はいる。でも、そのどこかはやっぱりここ。風景がまったく違う場所とシンクロしているような、今見ている景色が見たことのない景色に重なってみえるような、そんな感覚だった。ここは、どこだろう。横断歩道の真ん中で立ちすくむ瑠衣の横を小走りに人がすり抜けていく。誰かが体にぶつかって、はっと気がついた。点滅していた信号が赤に変わった。慌てて瑠衣は駆け出した。
街へ。
そうか。ここがジャングル。
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