みんなピエロ。

 

 最近さっぱりだ。僕はいつもの広場まで急いでいた。ちょっと前までは千鳥足の酔っぱらいが札びら切ってくれたもんだけど今じゃそんなことはない。お札をだすほどみんな酔っちゃいない。さっさと家に帰っちまう。たまにもらう小銭はいくらたまっても小銭だ。やっぱり世の中不景気なんだな。そんなこと考えながら僕は歩いていた。

 ある交差点まできた時だ。歩道の縁に立っていたおじさんが急に通りを渡ろうとしたんだ。僕の視界にはその時バイクが見えていたんだけど、そのおじさんはまるきり反対の方を向いてる。もうスローモーションみたいだった。いや逆か。とにかく「危ない!」と声をかけるのと、おじさんの腕をつかむのと、バイクが駆け抜けるのと。紙一重だった。僕たちは倒れこんだけどバイクは止まりもせず行ってしまった。振り返り中指立てるのが見えた。僕たちは立ち上がった。「すまない、君が引っ張ってくれなければ轢かれていたところだ」僕は膝の埃をはたきながらこう答えた。「怪我がなけりゃよかったよ」スーツでくたびれた感じだけど妙に目つきの鋭いおじさんだった。ふと、気づいたように、君はいつも広場にいる大道芸人かと聞いてくる。大道芸人だって?パフォーマーといってほしいな。ともかくそうだよと答えるとさらに聞いてきた。あの角にあるレストランで働いていた娘を知らないか?知ってるわけないっていおうと思ったけど、実はすぐにわかった。なんか子猫みたいなあの娘だろ。前からちょっと気になってた娘だから知ってたんだ。ついさっきあの向こうの通りですれ違ったよ。そう教えてやるとおじさんは急に元気づいたようだ。だけど胡散臭いから思わず訊いた。「おじさん警察のひと?」違うって。人に頼まれて探してるんだって。コーシンジョか。胡散臭いには変わりないよな。でも僕には関係のないことだし、なんせ広場に一番人出が集まるゴールデンタイムを逃したくなかったんで、じゃ急いでるんで、と断ってまた歩き出した。

 広場についてから気がついた。赤いハナがない。どこで失くしたんだろう。あのハナは愛着があったのに。ずいぶん使っていたのに。あれがないとやる気が出ない。僕のテンションは一気に下がってしまった。もうどうでもよくなってしまった。でも帰りたくないって時あるだろ?そんな気分だったんだ。だから僕は広場のはずれにあるベンチに寝っ転がった。腕を頭の下に組んで枕にして空を仰いでみると、夜空っていっても街の明かりで星なんてちっとも見えなかった。どうにかして見えないかなと目を凝らしながら、いろんなことを考えていた。なんかツキがあればなあ。運がよけりゃなあ。でっかい舞台に立っている自分を想像してみた。大喝采。豪華な生活。そんなこと考えてるうちにうたた寝しちゃったらしい。いつのまにか、空は朝焼けでうっすらと明るくなっていた。僕は座りなおすと広場の大時計を見た。始発までまだある。手持ち無沙汰で、僕はボールを取り出した。軽くジャグってみる。うん、いい感じ。次第に集中してきた。ふと気づくと、ものすごく派手な柄シャツを着た男の人が僕を見ていた。朝帰りの酔っぱらいかな。でもひとりでもギャラリーがいれば燃えてくるってもんだ。僕はスピードを上げた。最後に高く高く、そしてフィニッシュを決めると柄シャツは拍手してくれた。「ブラボー!やるじゃねえか」そういって尻ポケットから高そうな革の財布を出したよ。こんなこともあるのさ。僕はニヤけてしまった。ほんとに無造作に大きいのを二、三枚抜き出して、そこで、ふと思い出したように今度は横のポケットからなにかを取り出した。「こいつもやるぜ」それは僕の赤いハナだった!僕は叫んでた、「なんであんたが!」

 

 おれは腕のロレックスを見た。夜っぴての勝負になるのはわかってたが、それにしても今夜は分が悪すぎる。人生は賭けだ。賭けることが人生だ。そんなおれでも駄目な時は駄目だ。験なんか担ぎゃしないが、何か浮かび上がるきっかけが欲しい。いやな兆候はあった。あの娘。ひょいと戸口に顔出したと思ったら、出ていくわ、の一言だ。まあ猫みてえに転がり込んできたんだから、ふらりと出ていっちまうのもしょうがねえが。あの娘がいた時には確かに総じて上向きだった。幸運の女神なんて玉じゃねえが、あんな小娘でも運はつけてくれたかもしれねえ。こんな夜に出ていくとは間が悪い。今夜は端から負けっぱなしだ。おれは溜息をつくと、テーブルの他のもんに断りを入れて立ち上がり便所へ向かった。

 いかにも吊るしの背広のじじいが先に小便をしていた。俺は構わずに洗面台の前に立った。こんな雑居ビルの便所だ。鏡の隅にゃひびが入っていた。その中に写るツラはいかにもしけた顔だ。なんとかツキが戻らねえものか。でないと今夜は相当持っていかれちまいそうだ。そんなことを考えていると、鏡の奥のじじいと目が合った。やけに鋭い目だ。だがサツじゃねえだろう。ここのサツはあらかた知っている。おれは振り返って「おう、わりいな」と声をかけて洗面台を譲ってやった。じじいは念入りに手を洗い、おもむろに顔をばしゃばしゃやった。濡れた顔でペーパータオルを探ったがそんなもんありゃしねえ。ハンカチでもと、自分の身体中を探したが出て来やしねえ。間抜けな野郎だ。「これ使いなよ」おれはそういってポケットから出したシルクのやつを渡してやった。じじいはすまんとかなんとかいってそれで顔を拭いた。そんなびしょ濡れのもん返されても困るんで、「あんたにやるよ。その変わりおれにツキを恵んでくれねえかな」と声をかけたがにこりともしねえ。不愛想なじじいだ。「ではもらっておく」なんて偉そうにいって出ていっちまった。おれは煙草に火を着けた。煙は窓から抜けていった。隣のビルのネオンが見えた。窓から振り返って、気づいたのはその時だ。真っ赤な丸いもんが落ちていた。なんだこりゃ。おれは拾い上げてみた。こりゃ...。鼻だ。道化の鼻か。なんでこんなもんが。あのじじいがごそごそやってた時に落ちたのか。あいつは道化か。あんな不愛想で。試しに鼻につけてみる。鏡で見たら、確かに道化だ。笑ってみた。道化そのものだ。くだらねえ。冗談じゃねえ。冗談じゃねえが、こいつをつけて大勝負してみるか。こんなもんでツキが戻りゃ、万々歳だ。

 信じられねえことにツキがきた。それからの大きな局面でことごとくおれは勝った。終わってみりゃ大勝ちだった。だから、朝焼けの中、賭場を出た俺の足取りは軽かった。そりゃそうだ、勝てば官軍だ。心持も大きくなるぜ。馴染みの女のとこでもしけこむかなどと考えながら広場を横切ったら、ベンチのあんちゃんがお手玉をしてた。思わず足を止めた。器用なもんだ。おれが見てんのを意識してか、奴のお手玉はどんどん速くなった。見事に取りこぼさず、最後にゃずいぶん高く放ったやつを上手い事キャッチしてポーズを決めて見せた。思わずおれはいった、「ブラボー!やるじゃねえか」こいつははずんでやらなきゃな。まったく気分のいいおれはチップをやった。その時思い出したのさ。赤い鼻を。こいつはまさにぴったりじゃねえか。「こいつもやるぜ」すると、なぜかあんちゃんびっくりしてこういった。「なんであんたが!」

 

 迂闊だった。ぼんやりしていたに違いない。「危ない!」という叫び声とともに私は後ろに引かれ、倒れこんだ。その直後にバイクが轟音を立てて私をよけながら走り去った。私を救ってくれたのは少年、いや青年か。そんな年頃の若者だった。「すまない、君が引っ張ってくれなければ轢かれていたところだ」私は立ち上がりながら詫びた。青年も立ち上がった。そして事も無げに答えた。「怪我がなけりゃよかったよ」お互いに顔を見合わせた時、私には閃くものがあった。商売柄、人の顔の記憶には自信がある。街中の広場でいつも同じ時間帯に大道芸をやっている若者だ。訊けば、やはりそうだった。こういう若者にはテリトリーがある。この界隈には詳しいに違いない。私は捜索している娘のことを尋ねてみた。広場に接したレストランで働いていたはずだ。やさもこの辺かもしれない。もしかしたら、という勘は当たった。つい先ほども通りで見かけたという。もっと手掛かりを得たかったが青年は私のことを不審に思ったようだ。警官か、と聞いてきた。違うと答えたが青年は急いでる風を見せて足早に去ってしまった。あの通りでしらみつぶしに当たってみるか。倒れこんだせいか膝が痛かった。膝をさすりながら、路面に落ちているものに気が付いた。赤いはなだった。確かにあの若者は芸をやるときにはこれをつけていた。倒れこんだ拍子に彼の巾着から転げ落ちたに違いない。そのうち広場へいって返そうと私ははなを隠しに入れ、若者のいった通りへ歩き始めた。

 しかし聞き込みは芳しくなかった。もう少しで届きそうなところまではきているが、あと一歩で届かない。そんな感じだった。どうも掴みどころのない娘だ。あっちで現れたら、ふらりと消え、こっちに姿を見せてもまたどこかへ行ってしまう。今日日の世間の警戒心もあって、この街の住人達も口は重かった。あの若者が逃げるように去ったのも無理はない。そもそも探偵など何処へいっても歓迎される職業ではない。慣れてはいるが、夜の帳も下りきった時間になって疲労を覚えた。汗ばんだシャツがまとわりつく。せめて顔でも洗いたい。何度も行き来した通りの、横に入った路地に明かりのついたテナントビルがあった。私はその階段を昇っていった。

 廊下の奥にトイレがあったのでそこへいった。トイレの窓から外を見ると、煌々と明るいネオンの光が差し込んでいた。街は夜の顔へ鞍替えしたようだ。これから夜が明けるまでありとあらゆる欲望が渦を巻くのだろう。探偵の一日はまだ終わらないか。夜の街で聞き込んだほうが、ねたは集まる。しかし私は疲れていた。そんなことを考えているうち、私の後に入ってきた男がいた。まっすぐ洗面台に向かったその男は、派手な服装をした遊び人風だった。夜の街に生きている筋者に見えた。用をたす訳でもなく、手を洗う訳でもなく、しばらくじっと鏡の中の自分を眺めていた。私が後ろにいるのに気づくと、「おう、わりいな」といって一歩下がって場所をあけてくれた。私も鏡の中の自分を見た。草臥れた顔だった。なぜか男は出ていくこともなく後ろから私を見ていろのがわかった。構わずに手を洗い、顔を思い切り洗った。心地よい冷たさが顔をおおった。水滴が首元に流れるのを感じた。私は濡れた手で壁にかかったロール紙の手拭掛けに手をやったが芯しか残っていなかった。しまったと思ったが拭くものを何も持っていなかった。すると私の背後にいた男が高そうなハンカチを差し出した。有難く使わせてもらったが、そのハンカチはびしょ濡れになってしまった。察してか男があんたにやるよと言った。そしてその後にうす笑いといった表情で「そのかわりおれにツキを恵んでくんねえかな」とつけくわえた。なるほど、賭博師だ。負けが込んでいると見える。しかしツキか。私がツキをもっている訳がない。こんな時に上手い返しのいえるような外国の探偵ではない。裏通りをいく、人探ししか能のないしがない探偵だ。この私に求められるとは、よほど今夜はこの街もツキに飢えているのだろう。もう帰ったほうがよさそうだ。探偵の一日は終わりだ。ハンカチはもらった。私は事務所に帰った。

 上着を脱いだ時に思い出した。隠しを探ったが、あの赤いはながない。どこかで落としてしまったらしい。申し訳ないことをした。せめて今度広場で見かけた時に、あの芸人にそっと心づけを置いていこう。向こうは私のことなど憶えちゃいまいが。赤いはなを失くしてしまったピエロ、か。しかし思えば、だ。ツキのないギャンブラーだって、粋な科白のいえない探偵だって、滑稽に見えるという意味では、みんなピエロなのだ。

 私は窓を開けた。朝焼けだ。長い夜は終わったらしい。

 

LIVE at

 

荒川沖ジミヘン

 

2024/5/25 sat 

 "ジミヘンLIVE" 

 

act:

はちろうはぢめ

 

 start:20:00

投げ銭

 

 

荒川沖ジミヘン

 

2024/6/2 sun

"ユウジキクチ

HOPEFUL TOUR" 

 

act:

ユウジキクチ

ブレーメン

 

open:19:30start:20:00

charge:1オーダー+投げ銭  

 

水戸90EAST

 

2024/6/8 sat 

 "サウンドホールから!

コンニチワ!Vol,23" 

 

act:

中村

武蔵野カルテット

高橋賢一

for the one

劇画タイフーン

四畳半プリン

SCREW-THREAT

 

open:17:00start:17:30 

 Charge:¥2,500(1drink+満月ポン)込

 

荻窪クラブドクター

 

2024/6/13 thu

"club doctor 24th ANNIVERSARY" 

 

act:

SHOTGUN BLADE+10,000ケルビン

ザズエイラーズ

AZU

 

open:19:00start:19:30

charge:¥2,000(+1d)