二島、決意する

 

 朝から、ぎらぎらとする太陽の下で私は座っていた。首筋に伝う汗を感じた。腰をずらし足を組み替えてみる。私がいる公園のベンチからは、駐車場を挟んで大学病院が見えた。昔からある旧棟の横に、真新しい新棟が立っていた。どちらも大きな白い建物だった。とくに何かあるわけではないがそのうち自分もお世話になるのかもしれない。私はなんとなく掌を、そして裏返した甲を見た。年相応に草臥れた手に見えた。そろそろドックにでも入る頃合いだろうか。だいぶがたは来ているかもしれない。それなりの航海の、まにまに港でに寄って修理する時間も必要なぼろ船だろう。費用がいくら程かかるのか皆目見当はつかないが、近いうちには、と私は思った。少なくとも今年のうちには。そう決意した。病院の手前にある木立の間を、何かの虫が飛んでいるのが見えた。

 その木立の向こうから駐車場に歩いてくる男が見えた。中年の、眼鏡をかけた色白の男だった。ワイシャツ姿だがネクタイはしていなかった。私は立ち上がると駐車場のほうへ歩き出した。シルバーの大きな四駆のドアを開けるタイミングを狙って、手前から男に声をかけた。

「あなたはこの車の所有者ですね」

男は振り返るといった。

「なんです、あんた」

私は胸ポケットから写真を一枚取り出すと男に渡した。その写真には駐車場の精算機の横の花壇を踏み越える車が写っていた。そのナンバーは容易に読み取れた。

「この車が正規の料金を支払わずに違法駐車していることはわかっている。ほぼ四カ月の間だ」

男は口を挿みかけた。「なにを...」

私は構わずに話し続けた。

「言い逃れはできない。その写真は勿論、この駐車場の管理会社に届けてある。あなた自身の写真も撮らせてもらったし、はっきり言えばお名前も住所もわかっている。この先のマンションにお住まいですね」

男は青白い顔をして黙って聞いていた。私も汗をかいていたが、男もだいぶ汗をかいていた。顔が汗で光っていた。別種の汗かもしれないが私には怒りも哀れみも同情も感じなかった。私は話をつづけた。

「そこでだ。あなたは決めなきゃならない。正規の料金プラス違約金、これは管理会社の規定だがね。それと」私は車の横を指し示した。

「そのタイヤが踏みにじった花壇、これは公園を管理している市の管轄だが、そちらからも損害賠償の請求がきている。すべて払うなら示談扱いにしますが、もし拒否するなら法的措置を取る、と。どうしますか」

男は言葉を発しなかった。この暑い陽光の下に、その顔は殊更に蒼く見えた。沈黙は長かったし、太陽は相変わらずぎらぎらしていた。私にとってはただの仕事だった。ただ日陰が恋しかっただけだった。

 男は同意した。すべてを払う事に。「ではサインを」書類鞄から請求書を出しボールペンと一緒に渡すと、男はちょっとよろけた様に見えた。いわなくてもいいことを私は言った。

「軽い気持ちだったんでしょうがね。いつだってツケってのは重いもんですよ」

男は何もいわなかった。熱いボンネットの上にファイルを置き、少し震える手で署名をした。踏みにじられた花壇の後にどんな花を植えるんだろうか、と私は考えていた。それとも今度は鉄製の障害物でも置くだろうか。できるなら花のほうがいい、と思ったが私には関係のないことだった。

 夕方になってもまだ熱は街に溜まっているようだった。私は窓を開け放し煙草を吸っていた。煙はたなびいて、わずかに窓外へ流れていた。殆ど風は感じなかった。窓に面した通りの向こうの、駅のホームで大きな銀色のトランクを持った女性が電車を待っていた。トランクが夕日にきらりと光った。電車は轟音とともにやってきた。電車がゆっくりと止まるのが見えた。女性は電車の向こう側に見えなくなった。アナウンスが聞こえ、発車ベルが聞こえ、そしてまた電車は出ていった。トランクを持った女性の姿はなかった。無事に乗ったようだ。ふと、いつだったか、旅行というものに行ったのはと考えた。随分前に思えるし直近でどこへいったかも記憶になかった。そうだ、たまには息抜きの旅もいいかもしれない。誰といって誘う相手もいないが一人旅もいいだろう。海のみえる町か。優しい風の吹く高原か。そうだ、年内ぐらいには。そこで朝決意したことを思い出した。人間ドックと一人旅と、どちらのほうが金がかかるだろう。決意か。私は考えた。煙草を灰皿に揉み消し、そして卓上のメモ帳を引き寄せた。ボールペンを取り書き始める。"1,人間ドック(費用?) 2,旅行(費用?) 3,..." そこで暫く考えた。目の前の灰皿に吸い殻がだいぶ山になっている。 "3,禁煙。年内のうち" そこでボールペンを置いた。あやうく煙草のパッケージに手を伸ばすところでやめた。すでに私の決意は揺らいでいた。二本線で消して書きなおした。"3,節煙…" さらに書き足す。"4,節酒、節塩 5,事務所移転の候補…" その時、電話が鳴った。相手は大手興信所の所長の榊原だった。榊原はいった。

「あんたに頼もうと思ってた今夜のスーパーの張り込みな。さっきスプレーで落書きしたガキ連れてお袋さんが来たそうだ。親御さん、警察沙汰にはしないでくれって平謝りだってのにガキは横でけろっとしてんだと。受験がなんだとかストレスがなんだとか、お袋さんが必死に謝ってよ。親の心子知らずってなあ。まあ弁償するってんで。しかしストレス社会ってなもんだな、何処も彼処も。だから俺らみたいな職種は食い扶持があんだけどよ」

受話器の向こうで榊原はしわがれただみ声で笑った。その老練な皺くちゃの顔を思い浮かべた。

「このタイミングでわりいけど、そういった訳でこの案件なしな」

私は答えた。「わかりました。バラさん、ほかに何かあればまたよろしく」

おう、といって榊原は電話を切った。私は息を吸った。そしてその息を吐いた。何処も彼処も、か。誰も彼もが。ストレスを抱えている。間違いない。そして榊原が言ったように、そんなトラブルを私が飯の種にしているということも間違いのないことだった。私はいつの間にか無意識にまた煙草に火をつけていた。あいかわらず風はない。今日はこれで終わりだ。引き出しを開け、放り込んであった腕時計の時間を見た。時計の針も、窓の外からわずかに見える空も夜になりかけていた。煙草を咥えたまま山盛りになっている灰皿を持ち、パーテーションの裏にある簡易キッチンにいく。吸い殻をゴミ袋にあけ流しに灰皿を置くと、水道の蛇口を捻り咥えていた煙草の火を消した。それもゴミ袋にいれ、逆さに置いてあったガラスコップを取り水を注ぐ。一息に飲むと蛇口を閉める。水道の水は生ぬるかった。今日の一日のように。そしてその一日は終わろうとしていた。もとに戻って開いていた窓を施錠し、椅子に掛けてあった上着を手に取った。出る間際、部屋のノブに手をかけ室内を見回した時に、机の上のさっきのメモが目についた。机に戻り、丸めて屑籠に放り込むと私は事務所を後にした。

 

LIVE at

 

荒川沖ジミヘン

 

2024/5/25 sat 

 "ジミヘンLIVE" 

 

act:

はちろうはぢめ

 

 start:20:00

投げ銭

 

 

荒川沖ジミヘン

 

2024/6/2 sun

"ユウジキクチ

HOPEFUL TOUR" 

 

act:

ユウジキクチ

ブレーメン

 

open:19:30start:20:00

charge:1オーダー+投げ銭  

 

水戸90EAST

 

2024/6/8 sat 

 "サウンドホールから!

コンニチワ!Vol,23" 

 

act:

中村

武蔵野カルテット

高橋賢一

for the one

劇画タイフーン

四畳半プリン

SCREW-THREAT

 

open:17:00start:17:30 

 Charge:¥2,500(1drink+満月ポン)込

 

荻窪クラブドクター

 

2024/6/13 thu

"club doctor 24th ANNIVERSARY" 

 

act:

SHOTGUN BLADE+10,000ケルビン

ザズエイラーズ

AZU

 

open:19:00start:19:30

charge:¥2,000(+1d)