海賊の話

 

 たまたま足を向けたB横町の居酒屋に、その男はいた。

 奥の木椅子にどっかりと座り込み、酒瓶を前ににたりと笑って入ってきたわたしを振り返りみたのだった。野卑な感じではあったけれども、しかし何故か人間らしい人間の顔であった。そもそも、その居酒屋は老人がやっている鄙びた界隈にある小さな店で、およそ気位の高い者が入ってくることはないといった類の店であった。労働者や下級官使ぐらいが迷い込むのがせいぜいだっただろう。かくいうわたしも......。いや、わたしの話はよそう。それこそ野良犬のようにさ迷い込んだにすぎないのだから。

 さて、その男は壮年の皴だらけの顔で、その体格はがっちりとしていて、つい先ほどまでは野良仕事でもしていたような汚い身なりをしていた。傍らには大分ぼろのきた外套が無造作に床に置かれていた。そして何よりもその男を特徴づけていたのは、頬から顎にまでびっしりと生えた髭の中にある、光を放つ黒い眼である。それは理性と知性からはかけ離れたような男の風貌にあって殊更に目を引くのであった。今にして思えば、その眼を見つめていると、いやその眼に見つめられるとまるで深淵に引きずり込まれるような感覚に陥るのである。それなのに何故か温かみも感じるのである。始めからわたしはその眼に捉えられてしまった。男は部屋の一番奥にいたが、こちらの心の奥底を覗き込むように向こうからわたしを見つめた。わたしは生活やかけ離れてしまった理想に投げやりな気持ちにおそわれ、なかば無意識に何度か来たことのあるこの居酒屋に飛び込んだのだが、男に見つめられているのがわかり心情を見透かされたようで羞恥心をおぼえた。時たまその男を盗み見ると、やはりわたしをじっとみているのだった。わたしは不思議な気持ちになった。すぐそこにいながらなぜか遠い遠い場所から男がわたしを呼んでいるように感ぜられた。

 その男は、まるで木っ端を燃やしたような匂いのする煙草を吹かしていた。こういった店ではお互いに名前や身分や、境遇を尋ねるまでもなく顔見知りばかりが宵になると集まってくる。しかしその男の顔には見覚えがなかった。そして始終無口であった。ただ憶えているのはその燻らせる煙草の変な匂いである。居酒屋にはやはり常連の客である農夫や職人達がいたが、誰もその煙のその匂いに気づかないようであった。常連達は安酒を呑みながら実のない話をしていた。やれ不況だやれ不景気だ、なにが何ルーブルもする、あれは何ルーブル値上がりしたなどと金の話がもっぱらであった。次第に会話は、領主の博打での大負けの噂とか、隣村の大火事の話とか、しまいには俺はだれぞを知っている俺はだれぞと懇意だなどと自慢の比べっこに流れていった。そんなとりとめのない話に男はまったく加わらなかった。そして不思議なことには常連の酔っぱらい達もまるで男がその場にいないように、全然目に入らないように振舞うのである。店主の老人さえもまったくそうである。まるでそこには誰も存在しないという風に振舞っていた。男もまるで周りには無頓着であった。ただ図太い笑みを浮かべながら、やはりわたしを見つめているのが感ぜられた。わたしは男を意識しながらも、酔っぱらい共の馬鹿話につられ幾度となく酒を煽っていた。そのようにして騒がしい空気にわたしは溶け込んでいった。酔いながらも、たまにそちらに目をやると奥の男はやはりわたしをじっと見ていた。そして夜は更けていったのである。

 そのうちわたしは大声を張り上げていた。飲まずにはいられなくて酒を飲み、叫ばずにはいられなくて叫んだのである。わたしは体制や主義や社会や人間や、そして今まで生きてきた過去も、これから来たるべき未来についてさえも悪態をついていたのだった。常連常客達は盛んにわたしを囃し立てた。

「この若造はむかっ腹が収まらねえとよ。見てな、今にお天道様にまで文句をいいだすに違いないぜ。勝手に昇りやがってってな」「違いねえ。そん次にゃ、勝手に沈みやがってって怒り出すだろ」

一同の者はそんな風にわたしを笑いものにした。しかしわたしは笑われれば笑われるほど心をより一層掻き立てられた。不平不満を並べながらも、現実の生活から抜け出そうとしない者たちに怒りすら感じたのである。

「あんた達に誇りはあるか!あんた達に自由はあるか!あんた達に志はあるか!志のある生き方をしてきたか!生き様を語れるか!」声を張り上げる度に茶々をいれていた男達は、次第に白痴を見るような目つきに変わってきた。そして、知らねえよとか、いかれてやがるのさとか呟きながらわたしから遠ざかった。宵が更けるうちそれらの者はひとりまたひとりと店を出ていった。いつの間にか、奥の男と老人を除いてはわたしひとりになった。それでもわたしは昂ぶった心を抑えることができずに酒に浸っていた。《わかってたまるか!自由を渇望する我が心を!ぬるま湯に浸かっている様なやつらにわかってたまるか!......》

 いつの間にかあの男が隣に座っていた。そして、親し気にわたしの肩に手を回し、初めて口をきいた。

「なあ、兄ちゃん。お前、気にいったぜ。仲間に入れてやろうじゃないか」

わたしは面食らって聞き返した。

「仲間?......いったいなんの仲間です?」

男はあのにたり顔を、それもとびきり豪快な笑顔を見せてこういったのである。

「海賊だよ」

 

 思えば信じ難いことだ。この文明が栄えた世紀に、この繁栄の時代に、ましてこの大陸の真ん中のちっぽけな町に、何千露理もいかねば海など見えないこの内地に海賊などというものがいることは信じ難い話である。しかしあの、男の目はわたしを捉えて離さなかった。まるで吸い込まれるようなあの目に。いつしかわたしはその気になっていた。自由を望んでいたわたしの心は、もう進むほかに道はなかった。疑う気持ちなど微塵もなく、わたしは意気込んで叫んだ。「ぜひ、わたしを海賊の仲間に入れてください!」

男は頷くとこういった。「よし、俺の目をみな。穴が開くほどみるんだぜ」

そして、わたしは男の目に吸い込まれ、さらに奥へ吸い込まれ、さらにもっと奥へ吸い込まれ............。

 気が付くとわたしは狭苦しい自分の部屋に戻っていた。狭苦しい寝台の上で、ただただ酔いの残った痛む頭を抱えながら目を覚ましたのである。やっとの思いで首を巡らし部屋の中を見回してみたが、ちっぽけな下宿部屋は普段と何も変わらなかった。やっと立ち上がり、明かりを求めて寄った薄日のさす小窓からの風景も、変容しているものはなにもなくいつも通りの景色であった。わたしは窓からの日差しに手をかざし、まじまじと見た。その両の掌にはくっきりと、"何か荒縄を曳いたような痕跡"が歴然と残っていた。わたしは唇を舐めてみた。"塩辛い味"がしたのだった。しかしわたしの記憶は、あの男の目に吸い込まれてからはふっつりと途切れ、何も思い返せないのであった。

 幾日後、わたしは件の居酒屋へまた出向いた。もしかしたら、と思ったがあの男はいなかった。店には、この間の晩と同じ常連達がまた安酒のコップを手に屯していた。男らはわたしを覚えていて、大演説をした若造だななどとわたしを冷やかした。わたしは何かを確かめたかったし何かを信じたかったが、しかしそれがなんであるのか自分にもよくわからなかった。ただ酔客たちにこの間の男を覚えていないかといくら尋ねても、また居酒屋の店主の老人に聞いてみても、知っているどころかそんな客はいなかったという返事であった。これこれこういう風貌でそこに座っていたといくら説明しても、あの夜そこにはだれも座っていなかったというのである。はたして、あの男はわたしだけが見た幻だったのか。わたしの創造の産物に過ぎなかったのだろうか。しかし、あの髭面、そしてその顔に光るぎらぎらした眼光、しわがれた低い声、それにあの妙な煙草の匂いまでもがまざまざと脳裏に蘇ってくる。わたしは何かを確かめたい。わたしはなにかを信じたい。海賊か。はっ!馬鹿馬鹿しい。しかしわたしは決心をしてしまった。海賊になる決心を。そこで、あの男を探しに旅に出ようと思う。どこへいけばいいか、なにを手掛かりにすればいいかまったく見当はつかないがとにかくいかなければと思う。そこでこの手記は一度ここで終わることにする。諸君には帰ってきたらまたご報告をすることとする。一月、二月、いやひょっとしたら十年二十年は留守にするかもしれないが、七つの海の航海を、世界をまたにかけての冒険談を、海賊としての浪漫を土産話として持ち帰ることを約束しよう。

 

LIVE at

 

荒川沖ジミヘン

 

2024/5/25 sat 

 "ジミヘンLIVE" 

 

act:

はちろうはぢめ

 

 start:20:00

投げ銭

 

 

荒川沖ジミヘン

 

2024/6/2 sun

"ユウジキクチ

HOPEFUL TOUR" 

 

act:

ユウジキクチ

ブレーメン

 

open:19:30start:20:00

charge:1オーダー+投げ銭  

 

水戸90EAST

 

2024/6/8 sat 

 "サウンドホールから!

コンニチワ!Vol,23" 

 

act:

中村

武蔵野カルテット

高橋賢一

for the one

劇画タイフーン

四畳半プリン

SCREW-THREAT

 

open:17:00start:17:30 

 Charge:¥2,500(1drink+満月ポン)込

 

荻窪クラブドクター

 

2024/6/13 thu

"club doctor 24th ANNIVERSARY" 

 

act:

SHOTGUN BLADE+10,000ケルビン

ザズエイラーズ

AZU

 

open:19:00start:19:30

charge:¥2,000(+1d)