動物園の二島

 

 動物達はどれもこれも寝ていた。春の日差しは麗らかだった。確かに眠りを誘うような陽光だった。週の中日の平日に訪れている客は疎らで、その怠惰な雰囲気が流れる園内を私は歩いていった。週末になれば活気も出るのだろうが、今のんびりしている動物達が、休日に観客にどれほどのサービス精神を発揮するのかは私にはわからなかった。その昼下がりは、大体の動物たちは眠っているかそれでなくても退屈そうな気怠い視線を歩いていく私に送ってよこすだけだった。歩きながら私は色々な動物達を見た。プレートがなければわからない動物達も多かった。自分の不見識を恥じるほどに多種多様な生き物達が動物園の中で生きていた。そこにいると、人間だけが服を着ていることが可笑しなことに思えてくるのだった。

 猿の群れの山が園内の中央にあり、その向かいに休憩所があった。売店の端に自動販売機、その裏に錆びたベンチと灰皿が設置されていた。私は無糖の缶コーヒーを買い、煙草を振り出して火を着けた。先客がいた。男がだらしなくベンチの背にもたれて煙草を吹かしていた。人のことはいえないが、およそ動物園に似つかわしくない背広にネクタイ姿だった。グレーのネクタイは緩められ、だらりと下がっていた。私は立ったまま煙草を吸った。柵の向こうのサル山の猿たちが見えた。ボスらしい猿はどれだろうか、と目を凝らしたが私にはわからなかった。やはり一番上にいる奴だろうか。人間と一緒で、猿でも偉い奴は上に登りたがるんだろうか。

 突然といえば突然に、先客の男がいった。「あんたもさぼりの口?」

私に声をかけているに違いなかった。私は男を見た。私よりは年配の、大分白いものの混じった男だった。私の顔には苦笑いが浮かんだに違いない。

「まあ、そんなもんです」と私は答えた。年配の男も人懐っこい笑顔を浮かべた。

「こんな真昼間におっさんのくる所じゃねえからね」私も声を上げて笑った。「確かに」

男は煙草を挟んだ指でサル山を指し示していった。

「ほら、あいつらも管理社会なんだってね。縦社会だろ?俺ら雇われみたいなもんだ。あっちいけ、こっちいけ、あれやれこれやれってな。上の奴らにはご機嫌うかがってな。そんで、下の奴らには毛づくろいしてもらってさ。あんたも間に挟まれて苦労してんでしょ。こんなとこ来て息抜きしてるようじゃ」

話好きの男のようだった。喋りながらも笑みを浮かべていた。向こうのサル山の猿達は、たとえそこが管理社会だとしても、その時間は平穏にみえた。争うこともなく罵り合うこともないようだった。

「彼等にもストレスはあるんでしょう。もしかしたら山の裏で一服つけて仕事の愚痴をこぼしているやつがいるかもしれないな」私がそういうと男は愉快そうに笑った。

「そうねえ。そんな猿がいてもいいね。人間味、じゃねえや。猿味があっていいじゃねえか。でもやつら、今日ははあんまりやる気は見えないね。まあいいだろ。子供ら来た時に張り切って喜ばしてくれりゃあな。俺ら人間だって猿だって少し空気抜けてるぐらいが丁度いいんだよな。ましてや頭に血昇らせる歳でもねえしな」

男は灰皿に煙草を押しつぶした。私たちはサル山を眺めていたが、やはりあまり動きはなかった。猿達の間にも、平和ではあるが気怠い空気が流れているように思えた。

「のらりくらりとやんのがコツさ。ここは息抜きにもってこいだよ。でもさ。会社に戻るとさ、みんな猿に見えてくるんだよ」憎めない男だった。こういう男は、確かに上手く世間を渡っていく処世術を身につけているに違いない。いい意味で緩んだ男だった。そのうち腕時計にちらりと目をやって男はいった。

「やべえ、会議を忘れてた。社に戻んなきゃ」まったく急ぐ気配もなく立ち上がると、私と視線を合わせた。「そんじゃ、ま、ご同輩。また会いましょうや」

気の利いた言葉を返そうと思ったが出てこなかった。私は二本指で敬礼らしき仕草をした。白髪の男もにやりと笑って敬礼を返してよこすと、私がやって来た方向へ歩いて行った。私は逆の、さらに奥へ歩き出した。私にはまだやることが残っていた。

  就学前と思われる子供たちが、保育士に付き添われて象の前に集まっていた。口々に素直な感想を漏らす小さな子供たちの後ろから私も象を見やった。大きかった。子供たちの目から見ればビルディングほどに見えるだろう。その象の、ゆっくりと鼻を動かす度に子供たちの間に可愛らしい歓声が上がった。私は先日に出会った少年を思い出していた。離婚調停で依頼された夫婦の子供だった。爛れてしまったような両親の間で揺れている少年だった。私が依頼人に報告にいった時、彼は別室にいた。しかし襖だけを隔てたそこでは大人たちの会話は聞こえたに違いない。理解できたとは思わないが。家を出る間際に、ふと見ると戸口でじっと立って私を見つめていた。少年は笑わなかった。母親はそこにいる息子の存在には無頓着のように思えた。あの少年が大人になった時にあの夜を思い出すだろうか。何を思い出すだろうか。それは女をつくって出ていった父親のことでもなく、その父親をあけざまに罵る母親でもなく、その原因になった密告屋のような気がした。私は象を後にしてさらに先に進んだ。

 黒豹の前に老人がいた。時間は経ち夕暮れが訪れていた。辺りは徐々に薄暗くなり始め、閉園時間は迫っていた。私は少し距離をとって老人を観察した。老人は全く周りの様子を気にしていないようで、ただ柵の前に立っていた。黒豹は物憂げに老人を見返しているように思われた。暫くして、老人が動いた。何かをポケットからだし檻の中に投げ込んだ。それは黒豹のはるか手前に落ちた。黒豹は反応しなかった。老人はまた何かを投げ込んだ。私はゆっくりと近づいた。檻の中に丸めた紙屑のようなものが見えた。老人が今一度、手を後ろに引いた時に私は話しかけた。

「当園では動物にものを与えるのは禁止されています。例え、それがなんにせよ」

老人は落ち窪んだ目で投げやりな一瞥を私にくれると、踵を返して歩き出そうとした。私はその腕を掴んだ。「ちょっとお話を伺いたい」

 事務棟の中の小部屋へ老人はおとなしく来た。慌てるわけでもなく、逃げ出すわけでもなかった。ただ口はなかなか開かなかった。痩せこけた口数の少ない老人から身元を聞き出すまでには時間がかかった。渋々ながらも老人は素性を明かした。

 ここ二、三週間の間に頻繁に動物の檻に紙幣が投げ込まれるという事案があった。目的がわからず、いたずらにしてもその額が大きかった。紙幣は動物達に噛み散らされたものもあるが、ほとんどは柵の間に設けられた安全帯に落ちていた。全て万札で総額はかなりのものになると思われた。そして私が動物園に通って四日目に老人が現れたのだった。しかし、なんのためにそんなことをしたのか、その理由は一切語らなかった。動物園側が危惧したような事件性はなさそうだった。偏屈な老人の偏屈な行為としか説明のしようがなかった。気まぐれなのかもしれない。動物好きなのかもしれない。そして金が有り余っていたのかもしれない。動物たちが金を好きだろうかは疑問だが。単に理由はないのだろう。いや、複雑な事情があるのかもしれない。しかし老人の心は私にも同席した動物園の事務局長にもわからなかった。夜になって義理の息子というのが高級セダンで迎えに来た。あからさまに金の匂いをさせた小太りの中年の男だった。迷惑をかけた義理父に不快感を隠さなかった。私と動物園の事務局長に、内密に頼むといった。変に騒ぎ立てられても困る、そういった。金は寄付する、なんなら迷惑料も出すといった。

 後ろの座席に乗り込もうとする老人に私は言葉をかけた。

「あなたの金にこれっぽちも興味はないが。あの黒豹といっしょでね。ただ、思うのはだ。どうせなら絶望よりも希望を持って死にたくはないですか」

老人は何も答えなかった。その落ち窪んだ目で私を見つめ返すだけだった。窓ガラスは閉められ老人は去った。

 

 母親は始め訝って承諾しなかった。しかし、調査費を割り引こうと私が提案すると途端に同意した。なんの為にかは二の次になったようだ。次週の日曜日、日が昇ったばかりの早朝に私と少年は動物園にいた。まだ開園前のため広い園内に人気はなかった。私たちだけの動物園をふたりで歩いて行った。動物たちは朝食に忙しかったようだ。もうすぐ一日が始まる。食餌を前にした動物たちには活気があった。各々が日曜日の為の気合十分だった。勝手な人間の見立てであろうが、私にはそう思われた。象の前まで来ると、少年はその大きさに驚嘆の声をあげた。

「君はあの象に乗ってみたくないか」少年は目を丸くしていった。「そんなことできるの!」

せんだっての動物園の事務局長は話の分かる人間だった。私たちは象舎の方へ向かった。歩きながら、少年は私に聞いてきた。

「おじさんは飼育係なの?」私の顔には苦笑が浮かんだに違いない。

「まあ、そんまもんだよ」と私は答えた。先週の、サル山での同輩を思い出した。

 

 老人はある会社の創業者だった。かなり大規模な企業だった。もうとうに引退した身だったが、資産は勿論相当あったに違いない。あの時の行動の理由はもう窺い知ることはできない。亡くなったということを私は新聞で知った。老人は癌に侵されていた。

 

LIVE at

 

荒川沖ジミヘン

 

2024/5/25 sat 

 "ジミヘンLIVE" 

 

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はちろうはぢめ

 

 start:20:00

投げ銭

 

 

荒川沖ジミヘン

 

2024/6/2 sun

"ユウジキクチ

HOPEFUL TOUR" 

 

act:

ユウジキクチ

ブレーメン

 

open:19:30start:20:00

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水戸90EAST

 

2024/6/8 sat 

 "サウンドホールから!

コンニチワ!Vol,23" 

 

act:

中村

武蔵野カルテット

高橋賢一

for the one

劇画タイフーン

四畳半プリン

SCREW-THREAT

 

open:17:00start:17:30 

 Charge:¥2,500(1drink+満月ポン)込

 

荻窪クラブドクター

 

2024/6/13 thu

"club doctor 24th ANNIVERSARY" 

 

act:

SHOTGUN BLADE+10,000ケルビン

ザズエイラーズ

AZU

 

open:19:00start:19:30

charge:¥2,000(+1d)