藪井蟹二の「口座」
暫く前にこんな記事が載ってあった。全国の銀行には相当多数うっちゃられた口座があるという。およそ、その殆どはわずかな残高で引き出すも閉じるも手間が面倒、従って放って置けといういわば休眠口座というものらしい。そして大方はそのまま忘れられているのである。しかし塵も積もればなんとやらで、たった今も眠ったままの金は合算すれば莫大な額にのぼる。そこに目を付けたお上が目減りの激しい財源の当てにしているという、そういった概要であった。これはもちろん銀行側からみれば余計なお世話である。放っておいてくれと、これは顧客にもであろうがそういっているのだそうだ。眠った稚児を揺り動かすようなものである。半端に起こしたら泣き出すに違いない。眠ってさえいれば銀行の資産なのである。かくしてお偉いさん達の鞘当てが始まる。
これが一庶民からみれば、いつもお上というやつは旨いところに目をつけやがると呆れるやら感心するやらしきりである。しかしよくよく考えてみるとどうも腑に落ちない。確かに埋もれたままの持ち腐れよりは有用に使うに異議はないが、どうも頭ごなしのような気がする。文句ないだろう放って置いたお前が悪いのだと、そう言われている様な気がするのである。元々は自分の金である。どこにしまったか忘れたからといって、よしんば放って置いたからといって勝手に使われるのはちと横暴ではないか。いつの時代も謙虚さより高慢さが鼻についてしまうのが国家というものである。なにより政治屋の考える政策とは得てしてそういうものなのかもしれない。これがまだ戦争の武器や弾薬に使われないだけこの国はましか、などと思った。
このニュウスを家内に話すと忽ち怒り出した。そんなことは許されないと憤慨したものである。その点、男は諦めが早い。まあ仕方がない、国も予算が厳しいのだからなどと言ったら、そんなだから舐められるんですととばっちりを喰った。こういう時の女は怖い。箪笥の奥を漁りだしては、やがて古びた通帳を眼前に突き付けた。
「いい機会ですから、あなた。これ持って解約してきてくださいな。一円たりとも残しちゃ駄目よ、勝手に使われたら悔しいもの」
実のところ失念していたが我が家にも休眠口座があった。お宅も探してごらんなさい。ひとつやふたつはあるやもしれぬ。
さて件の通帳は、見ればまだ所帯を持つ前の自分の口座であった。手に取って眺めてみると懐かしさが込みあげてきた。元々は御袋が作ってくれたもので、始めのうちは手書きで御袋の書き込みがあったりする。どこそこに幾ら、誰それに幾らなどと払い出されていた。自分に引き継がれた事が分かるのは、辿っていくと生涯初めての給金が振り込まれているからである。あの頃は振り込みがある度に楽しくこの通帳を眺めたものだ。今現在も大した実入りがあるわけではないが、それにしてもやはり当時の収入は可愛らしいものである。さらにめくっていくと何度か勤め先も変わっていた。辛抱の足りない人生ではあるが、しかし辛うじて微々たる蓄えが増えていく履歴は救いである。そして、ついにある年度においてほぼ全額が下ろされていた。その端数が休眠口座として眠っていたのである。最後の取引はふたまわり昔のことである。思えば幾歳月を重ねてきたかと感傷に浸った。しかしこの二十数余年この眠りっ放しの金が、果たして銀行の金庫にちゃあんと残っているものかしらんと子供のような不安が頭をよぎった。逆に見も知らぬ大金が入っていたらどうしようと要らぬ心配もした。
そういった訳で、当時住んでいた町へ随分と久し振りに出かけていったのである。その町のまさしく中央という番地にその銀行はあった。あの頃は活気のある城下町であったが、今や郊外の新興都市にとって代わられたその姿は寂寥の感がある。華やかだった商店街の通りは軒並み鎧戸をしめた店ばかりであった。ああ通い詰めた模型屋の親父はまだ存命かなとか、ここには老舗の帽子屋があったっけとか、感慨に耽りつつ足を運んだ。昔のままの場所に銀行はちゃんと建っていた。窓口へいき通帳を差し出した。
「これは大分放ったらかしておいた口座なのだが記録は残っているだろうかね」
そう尋ねると、受け付けてくれた婦人がお待ちくださいと言って調べだしてくれた。
「確かにございます。いかが致しましょうか」
そこで、今現在は別の口座で取り引きをしているし、これはもうこの先使うとも思われないので残金を引き出して終わりにしたいというと事務員は承知してくれた。半ば安堵した。その気持ちもあって、その事務員に話しかけてみた。
「どうだい、あの政府の発表後、僕みたいな客は多いだろうね」
「はい。とても多うございます。古い口座の解約にいらっしゃったのは、今日はあなた様で四人目です」
なるほど、そうだろうねえと相槌をうった。事務員が重ねて言う。銀行としては人様のお金を勝手に使ったりはしないし、どれほど年月が経っていようと払い戻しには応じる。それだのに、あんなニュウスのおかげでお客様が慌ててお金を下ろしにこられる。信用妨害だ。銀行としては信じてもらえないようで悲しいものだ、といった。これには赤面し言葉に詰まった。いや僕は家内にせっつかれたものだからとか、それにこちらの方へ出向く用事もあったので、などと弁解じみたことを呟くと、その後は窓口を離れて待合椅子に座り新聞を読んでいる振りをした。
さすがに手続きは面倒であった。通帳に記載されている住所は、生家を出て独居していた下宿屋で記憶にも薄れていた。これを現住所に変更の手続きをしてくださいという。登録されている印鑑も今使っているものとは違う。探せばあるかしらんが、簡単には出てこない。これも別の印鑑へ変更手続きを求められた。さらに本人であることの身分証明書を渡し、また待った。先ほどの事務員に呼ばれた時には銀行へきて小一時間が過ぎていた。
「長い間のお取り引き、ありがとうございました」そういって通帳と幾ばくかの通貨を返してよこす。煙草が一箱、買えるか買えないかという小銭であった。通帳を見ると当たり前だが零円になっていた。一巻の終わりである。寂しいものである。その小銭をズボンのポケツに突っ込み、事務員に礼を言って銀行を後にした。
どうも引導を渡してしまった、そんな心持ちになっている。これは誠に忍びない。誰に対してといえば勿論口座に対してである。眠っていたものを叩き起こしとどめを刺したのが自分であるから、せめて誠心誠意の供養をしたいと思った。せめて感謝を以て弔ってやりたい。晩に改めて古い通帳を眺めているとやはり感傷的な気分になってきた。感謝を込めて有難うといった。人生のあの時もその時も、この口座と共に生きてきたのである。務めを果たした口座の立派な最期であった。今一度心を込めて有難うといった。これはけじめである。いつかはつけなければいけないけじめだったのである。わが青年期、青春のけじめ。また物寂しい気持ちが去来した。折しも春近し、である。時代は移り変わりまた始まるのだ。そういえば今日の強い風は春一番やもしれぬ。
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