漱石先生の逸話などを読むと、なぜかマディ・ウォーターズを思い出す。時代も背景も全く違うはずの二人のイメージが重なってしまうのはなぜだろう。共通項があるような気もする。あるからこそ結びつくのだろうし、ふと思い出してしまうのだ。漱石とマディに相通じる要素とはなんだろうか。そんなことを考えてみた。
まず思うのは、ともに変革期の礎を築いたということだ。日本語として、文語体から口語体への文章の変容はあまりにも大きな歴史であったろう。漱石は明治という激動の時代の中で、現代小説の基礎を作り上げた。今、小説を読む時、やはり漱石先生の理路整然として尚且つ洗練された文章は美しい。説明は難しいが、あまたある名文家の中でも一番に文章が完成されているのは、やはり漱石のような気がする。
マディも大きな転換を成し遂げた。泥んこ道からブルースをシティに持ち込んだ。何よりもエレクトリックなサウンドをブルースに取り込んだということが大きな功績だと思う。始祖ではなかったのかもしれないが、今現在に通じるバンドという概念はマディを初めとするシカゴ・ブルースがなければ存在しなかったに違いない。マディのバンドを巣立った名プレーヤー達は、またそれぞれが偉大なブルースマンになった。そして、その音楽は世代も国境も越えてロックを生み出した。文語から口語へ。生音からエレキへ。変換、とうのが漱石とマディの共通項だろうか。
さらに思うのは、慕われていたということである。漱石宅に集う門下生の後の経歴を語るまでもなく、ただただ秀才英才が師と仰いで慕っていたのだ。現代からみれば、その門弟の活躍した分野が多岐にわたっているのが、また漱石の懐の深さを示している。自由闊達に議論する文学青年たちを、笑みを含みながら見守る先生。そして、ここぞという時に発するその本質を突いた言葉は、まさに漱石作品の凝縮されたものであったに違いない。そんなエピソードを数々の門人が敬愛を込めて綴っている。
それほどまでに慕われていた漱石と、名ギタリスト、ハーピスト、ピアノマンからリズム隊まで多くのアーティストを擁したブルースの巨匠マディ。パートを問わず歴々のメンバーがいたからこそバンドという形態になったのだろう。マディのレコードからは、楽しくも哀しいブルースの神髄に触れることができる。数々のミュージシャンの最上のプレイを引き出したのはマディの力量に他ならない。出過ぎず引き過ぎずというのがブルースの胆であろうが、楽曲に各プレイがぴたりとはまるというのは、やはりマディのマディたる所以だったのではないか。文学にしても音楽にしても、その世界を辿ってみればみるほど、ああこの人もこの人も繋がっていたのかと驚くことがある。それが、マディに、そして漱石に行き着くことが多いのだ。
そうか、これだと腑に落ちた。ああ、この人もこの人も漱石の門下生だったのか。ああ、この人もこの人もマディバンドだったのか。この人も、この人も。この感覚が自分の中で二人を結びつけたようだ。くだけた言い方をすれば、まさにビッグボスだったのだ。漱石とマディの存在感はその世界に、ひとつは明治の文壇、ひとつは黎明期のシカゴ・ブルースにのめり込めばのめり込むほど圧倒的になるばかりなのである。
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